「宇宙の仕事をするにはどうしたらいいの⁉」国立天文台・縣秀彦先生の受験生向け漫画(後編3枚)

「宇宙関係に進みたいんだけど具体的にはどうしたらいいの?」

「宇宙の仕事をするにはどうしたらいいの⁉」国立天文台・縣秀彦先生の受験生向け漫画(前編4枚)

…という漫画の主人公の問いに対し、「宇宙物理学」で宇宙のなりたちやしくみについて「理論」「観測」というアプローチで取り組む「宇宙物理学」に進むという方向性と、「ロケットや探査機などをつくる」「航空宇宙工学」という分野に進む選択があるよ…というお話を、国立天文台天文情報センター・縣秀彦(あがた・ひでひこ)先生からお聞きしました。

さて後半3枚。5ページ目からです↓


螢雪時代(旺文社)2016年8月号掲載(Amazonで購入
『理系受験生の好きになれる分野見つけよう!』
制作協力:国立天文台天文情報センター縣秀彦先生
まんが:はやのん理系漫画制作室


「宇宙物理学」「航空宇宙工学」を支えるのは数学、物理、化学、工学、情報学、数学などの学問分野です。そういうところからも、宇宙にかかわる研究をすることができますよ。というか、そういう人が必要です。(はやのんコメント)

「宇宙の勉強を専門的にやりたい人」は専門性を高めること…。「博士号を取る」ことを目標にしてください(縣先生コメント)だそうです!

イベントに参加して実際に研究者に会って相談をしたり、日本天文学会のジュニアセッションに参加するなど、自分から積極的に動いてみてください。(はやのんコメント)


時代が進み、新たな研究分野として宇宙生物学という世界が開かれるようになっています。また「法律」や「哲学」の部分なんかは文系のものと思われていますが、社会の中で宇宙開発や研究を進めるにあたり、大変重要な部分を担っています。地球上の他地域に研究施設を建設…などという場面を想像すると、文化・言語・宗教的な理解も重要だということがわかるかと思います。人間社会のありとあらゆるものが宇宙分野の研究にかかわってくる…という言葉、なるほどと思います。(はやのんコメント)


ここまで語ってきて「しかしアマチュアとして独自に研究するのもまたよし」というコメントが出るところが、宇宙分野の深いところです。「アマチュア天文学者が新しい天体を発見」というニュースを時々見ることがありますよね。科学館やプラネタリウムで、人々に星を楽しんでもらいたいとか、宇宙教育の普及に取り組んでいる方もたくさんいらっしゃいます。

あとこの漫画に描き忘れたんですけど「読み物」を出版することで宇宙にかかわっている人もいます。広い意味で言うとこの漫画を描いているはやのんもそうですね。本を出さなくても、Twitterで情報をひとつ、ひとつと出すだけでも、宇宙にかかわっていると言えるはずです。

と・いうわけで縣先生の、受験生向けのまとめコメントとしては「天文学者のいる大学に進学してください」とのことでした。

今回のこの漫画を見て、「こんなことができそう」「やりたい」と思うイメージが湧いたようでしたら、大変嬉しく思います。

「宇宙分野に進みたいんだけど…」と思っている人のために、一度のまんがで、すべての情報をカンペキに提供することはできませんので、この漫画ご覧になっている方も、ご存じのことについて独自に読み物などをお書きいただければ幸いです。(はやのんコメント)


螢雪時代(旺文社)2016年8月号掲載(Amazonで購入
『理系受験生の好きになれる分野見つけよう!』
制作協力:国立天文台天文情報センター縣秀彦先生
まんが:はやのん理系漫画制作室


前編をもう一度読みたい人は
「宇宙の仕事をするにはどうしたらいいの⁉」国立天文台・縣秀彦先生の受験生向け漫画(前編4枚)

「宇宙の仕事をするにはどうしたらいいの⁉」国立天文台・縣秀彦先生の受験生向け漫画(前編4枚)

「じつは私子供のころから星を見るのが大好きなんだ!でも具体的にどうしたらいいかがわからなくて…」

…という悩みを持つ、漫画の主人公(理系女子)。
国立天文台に向かい、天文情報センター・縣秀彦(あがた・ひでひこ)先生に、宇宙分野が学問としてどのように分かれているのか、それぞれどんなことをしているのか、どういう形でそこへ進めばいいのか…を教えていただきました。

螢雪時代(旺文社)2016年8月号掲載(Amazonで購入
『理系受験生の好きになれる分野見つけよう!』
制作協力:国立天文台天文情報センター 縣秀彦先生
まんが:はやのん理系漫画制作室


「宇宙関係の研究や仕事」と言ってもその中にいろいろな分野や役割、仕事があるんですよ」

「宇宙学部」「宇宙学科」みたいなそのものズバリの学部学科名のある大学もあるんですかね…?あるかも…?しかし多分一番ど真ん中の「いわゆる宇宙」をやるならば、「宇宙物理学」!理学部の物理学科を目指すのが一般的かな…と感じます。プロの天文学者、宇宙物理学者を目指す人ならば、その大学がそういうとこまでやってるかどうか調べてから受験目指してください。(はやのんコメント)


宇宙物理学の研究ははさらに大きく分けて「理論」「観測」と役割が分かれています。これは大学入った後にその個人の興味や能力に合わせてどこでどのような研究をするのか進路が分かれていくところだと思うのであんまり早いうちに心配しすぎる必要はないかな~と思います…?(はやのんコメント)


また、もうひとつの方向性として航空宇宙工学分野から「宇宙開発」にかかわる仕事に就く、という道もあります。ロケットや探査機が好き!装置をつくりたい!という人はこちらですね。(はやのんコメント)


(以下、はやのんコメント)このまんがは螢雪時代2016年8月号に掲載してもらっていたもので、当時、国立天文台の縣先生からお話をお聞きして制作したものです。

2020年3月、コロナウイルスの影響による全国的な休校措置のため、数多くの教育機関、出版社などが独自コンテンツの無料提供をしている中、国立天文台が「休校中特別授業」とのことで中学生のための最新天文講座「中学校発 宇宙の旅—つながっている宇宙・社会・いのち」をYoutubeライブ配信を行いました。

そこで、縣秀彦先生が講師として、Mitakaを使用して私たちの宇宙の構造を解説したり、最新の天文の話題をおもしろい語り口で伝えてくださっていました。

Youtubeライブ配信、こうして休校になったから見られたもので、画面の向こうの縣先生が、休みになっている子供達のためにと一所懸命に話してくださっているのを見て、感動しました。縣先生はいつもいつもこうして話してくださるなと…。

理系漫画家の自分は、何か、みんなに見てもらえるもの、なかったのかな~!?と、何もしていなかった自分に対して、どうなの?と思ったので、この漫画を公開することにしました。

休校、大変なことですが、これをきっかけに宇宙の話を聴けたりすることもあるし、何か人生が変わる人がいるかもしれないですよね。このまんがも、誰かの役に立ったら嬉しいです。

よく「サイエンスコミュニケーション」などと言うわけですが、縣先生の姿を見て、ひとつひとつの機会に、伝えようと真剣に取り組むって、いいなあ…と改めて思いました。私もがんばります。(はやのんコメント)


後編に続きますよ~
「宇宙の仕事をするにはどうしたらいいの⁉」国立天文台・縣秀彦先生の受験生向け漫画(後編3枚)

[著者コメント漫画]理系漫画家になるには(8)-2007年「応用物理」75周年イベント

(ここまでの記事)
理系漫画家になるには(1)-はじめまして!理系の漫画家です!
理系漫画家になるには(2)-石垣島でファミコンに出会い、高校で物理に出会うまで
理系漫画家になるには(3)-文系女子高生、物理学科を受験!?
理系漫画家になるには(4)-10社中5社から仕事が来た出版社持ち込みツアー
理系漫画家になるには(5)-GoGo!ミルボ初登場
理系漫画家になるには(6)-ゲーム業界昔話
理系漫画家になるには(7)-2005年世界物理年 World Year of Physics 2005

このシリーズは2011年に描いた自己紹介漫画『理系漫画家になるには』をキリヌキで数話に分割して、ブログで無料公開するものです。このタイトルの通り、理系の漫画家になりたい人がいたら、何かの参考にしていただければと思います。


はやのん…1999年にゲーム雑誌デビュー、その後、現在は大学の研究を漫画にする「理系漫画家」「研究広報」を仕事にしています。
理系漫画家はやのんプロフィールのページ
Twitterにも略歴あります!


2007年「理系漫画家」誕生!?

2005年の世界物理年で理系の世界に一歩進んだ漫画家はやのんでした。2006年になり年度末、世界物理年のクロージングイベントで、当時、日本女子大学の教授だった、小舘香椎子(こだて・かしこ)先生と初めて出会いました。

小舘先生に登場していただいた漫画がたくさんあるので、また詳しく語りたいですが、初めて会ったときの印象は「えっ!女子大で理系!?物理!?そんな世界があるの!?」という驚きでいっぱいでした。たしか研究室の女性メンバーに囲まれて大集団だったと思います。「物理は女子1割」が定説で、実際そんな物理学科出身だったはやのんは、かなり驚きました。

小舘先生は「理系にもっと女子学生を」と、女性の理系進出にかかわる活動ではとても有名な先生ということがわかりました。以来はやのんも、たくさんの理系女子漫画を描いて活動をしています。

その小舘先生から誘っていただいて、この辺りから応用物理学会に関わっていくことになりました。ここでも「仲間!」としていただくことができて、物理やっててよかったな!と思いました。(いや、ろくに、やってなかったと思うんですけど。ゴメンナサイ。)


「応用物理」創刊75周年記念事業暮らしを支える科学と技術展 -世界を変える応用物理-

応用物理学会の会誌「応用物理」の75周年を記念するイベントが、科学技術館を会場として、かなり盛大に催されました。

「応用物理」創刊75周年記念事業暮らしを支える科学と技術展
-世界を変える応用物理-
http://www.jsap.or.jp/archives/jsap75/event_plan.html

私が呼ばれたのは、その中の「パネルディスカッション」。電気通信大学の中村淳先生、当時准教授、と2人で司会をすることになったのです。

その時に中村淳先生から、

「理系で漫画家なら、理系漫画家だね!」

という一言があり、それ以来、はやのんの肩書は「理系漫画家」になりました。

シンプルながら本質的な呼び名です。この「理系漫画家」という名のおかげで、以後ますます、理系の漫画を描いていくようになったというわけです。

今気づいたけど、「物理漫画家」なんて言われていたら、物理の枠から出ずに仕事をしていたかもしれませんね。中村淳先生、ありがとうございます。


パネルディスカッション「夢を語ろう」

2007年の作品です。パネルディスカッション登壇者大集合の絵です。

応用物理学会「応用物理」75周年イベントの中で催されたパネルディスカッション「夢を語ろう」は豪華な登壇者が勢揃いでした。

佐々木成朗 先生(成蹊大学)
渡邉恵理子 先生(日本女子大学)
福島理恵子 先生(東芝)
福島孝典 先生(科学技術振興機構)
小池康博 先生(慶応義塾大学)
伊賀健一 先生(日本学術振興会)
…すべて、所属は当時のもので、敬称は私からの関係性により全員「先生」としました。ご承知ください。

チラシのプログラムを見てみたところ、このような内容だったようです:

●夢の卵がかえるとき
佐々木 成朗 氏(成蹊大学)、渡邉 恵理子 氏(日本女子大学)
●偶然と転換~夢があふれ出す瞬間~
福島 理恵子 氏(東芝)、福島 孝典 氏(科学技術振興機構)
●光に夢を、夢を光に~ピアノとコントラバスにのせて~
小池 康博 氏(慶応義塾大学)、  伊賀 健一 氏(日本学術振興会)

その後講演登壇を大量にこなすようになったはやのんでしたが、この時が人前に立ってマイクで話すの初めて、という機会で、とても緊張した覚えがあります。

この時のメンバーとはその後も仲良く集まり「触媒研究会」なる交流の機会(飲み会です!)を何度も持つことができました。漫画の取材をさせてもらったりもしていて、理系漫画の初期の形をつくるところで大きな助けになってもらいました。仲間のみなさん本当にありがとうございました。


この後、当時の応用物理学会、人材育成・男女共同参画委員会の委員に…と誘っていただいて、この辺りから応用物理学会に、「理系漫画家」が参画していくことになりました。みなさん、漫画家を珍しがって、たくさん物理の研究のお話をしてくださって、本当によくしていただきました。応用物理学会ははやのんにとってはホームのような場所で、その後もずっとお世話になっています。


さて次回は2008年、日刊工業新聞『キラリ研究開発』連載開始のお話です。研究開発に特化した内容の濃い漫画で、理系漫画家としてガッチリとした実力を身に着けていくところになりました。


[著者コメント漫画]理系漫画家になるには(6)-ゲーム業界昔話

(ここまでの記事)
理系漫画家になるには(1)-はじめまして!理系の漫画家です!
理系漫画家になるには(2)-石垣島でファミコンに出会い、高校で物理に出会うまで
理系漫画家になるには(3)-文系女子高生、物理学科を受験!?
理系漫画家になるには(4)-10社中5社から仕事が来た出版社持ち込みツアー
理系漫画家になるには(5)-GoGo!ミルボ初登場

このシリーズは2011年に描いた自己紹介漫画『理系漫画家になるには』をキリヌキで数話に分割して、ブログで無料公開するものです。このタイトルの通り、理系の漫画家になりたい人がいたら、何かの参考にしていただければと思います。


はやのん…1999年にゲーム雑誌デビュー、その後、現在は大学の研究を漫画にする「理系漫画家」「研究広報」を仕事にしています。
理系漫画家はやのんプロフィールのページ
Twitterにも略歴あります!


理系漫画家の仕事と並行して、1999年~2013年頃はゲーム雑誌の仕事をしていました。前回の投稿をしてから今回まで時間が開いたのは東京出張で忙しかったからというのもあったのですが、この漫画のコマの「何でも思うがままっ」ていうセリフが、盛りすぎかなあ、と思って申し訳なく思い…。しかし今回の東京出張時、ゲーム業界の当時お世話になった人々に会う機会が何度かあり、ウーン、やっぱりそういう感じはあったかな、と思ったので、書くことにします。「調子に乗っていた」「いい気になっていた」そして人様に迷惑を掛けていたという辺りまで含めて、そんな感じだったかなと思います。

ゲーム批評

ゲーム業界での商業誌デビューが雑誌『ゲーム批評』だったことは自慢のひとつでした。ゲーム批評は広告を一切とらないことでゲームメーカーにおもねる記事を掲載しないという方針の、当時のゲームマニア好みの雑誌でした。この雑誌の執筆者になるためにはそれだけゲームに詳しくなければならないという雰囲気だったので、連載ができるようになったのは本当に嬉しかったです。ゲームメーカーの歴史を4ページにビッシリと書き込んでまとめた漫画でした。
当時の編集長は小野憲史さんでした。はやのんにとってはゲーム雑誌の仕事ができるようにしてくれた恩人です。

ファミ通

「ファミ通」のエンターブレインにも大変お世話になっていました。もともと漫画家になる前に師匠鈴木みそ先生がファミ通本誌で漫画の連載をしていたのでお世話になっていたわけですが、当時、先生からは仕事の紹介はしてもらっていなかったように思います。先生はそういうタイプの人ではなかったし、仕事は自分でとったほうがいいものという考えがあったのだろうと思います。(実際、その通りだったと思います。)編集者の方にお願いして挨拶回りをさせてもらったりしていて、NINTENDO64の頃の「ファミ通64」でゲーム攻略マップを描かせてもらっていたのが最初だったような気がします。当時はメーカーからマップデータをもらったりということはなかったので、全部目測で描いていました。実は10代の頃から地図を描く仕事をしていたため、特殊な感覚と技術を持っていて、そのおかげでゲーム攻略マップを職とすることができました。中学生の頃から『ウィザードリィ』シリーズなどマップを描きまくっていたので、それが仕事になるとは…という感じでした。

2001年から2004年は「ファミ通PS2」という雑誌で『気になったもんで』という漫画の連載をさせてもらっていました。月2回刊、5ページという変わったページ数で、ゲーム業界の面白そうなところに、編集者と一緒に取材に行って漫画にする、というスタイルのものでした。72話あったうち、27話?だったか?だけ、単行本になっています。当時の担当編集者さんたちには大変お世話になりました。あらゆる面で未熟であったため一番迷惑を掛けたのもこの辺りです。

ファミ通PS2の連載の最後辺りの時期は週刊ファミ通本誌でも連載をさせていただいていました。力不足が一番出たのがこの辺りだったと思っています。

Nintendo DREAM(ニンドリ)

2002-2013年と長きにわたって連載していたのはNintendo DREAMの『すすめ!天任家族』という漫画です。ゲーム大好き少年ダッシュ、その母かあさん、謎の動物ボギー、編集者たちが登場する、半分フィクション、半分ノンフィクションみたいなゲーム業界漫画でした。これも200話以上あったと思いますが単行本にはなっていません。

「ニンドリ」は任天堂ファンのための任天堂専門誌です。漫画連載はかなり前に終わりましたが、雑誌自体は現在も元気に刊行されています。
Nintendo DREAM
https://www.ndw.jp/

「プロの任天堂ファン」という語を生み出しました。
途中からなぜか爆濃鉄ヲタ漫画になった時期もありました。

ニンドリの仕事は自分がゲームを好きになった理由である宮本茂さんをはじめとする任天堂のクリエイターにお会いすることもできましたし、人生を変えてくれた恩返しをしたいと思い取り組んでいました。編集者の方々にも大変お世話になりました。一番漫画でイジらせてもらった当時の編集長サオヘンさんは漫画連載を始めさせていただいた恩がありますし、特に担当編集者かややんさんはゲーム雑誌、投稿ページ、ゲーム漫画を愛する真のプロゲーム編集者として尊敬しています。私より若いのに編集長になったりふぁさんとは今でも結構お付き合いがあります。みなさん、ずっと楽しいゲーム誌づくりにがんばっています。ずっと応援しています。

ゲーム攻略マップ

ゲーム攻略マップの仕事をしていたことは先述しましたが漫画の仕事をしながら、上記に加え、それ以外のゲーム誌、出版社でも、かなり多数のゲーム攻略記事、ゲーム攻略本のマップ描きの仕事をしていました。その数たぶん数百冊はあったのでは?マリオやゼルダ、ドラクエなどかなり有名なタイトルもありました。数日前この話をしたところ、元ファミ通編集長バカタール加藤さんが「ええ!知らなかった!儲かったでしょ!」と第一声…。さすがです。そこです。そうなんです。名前が出ないような仕事というやつでしたがかなり原稿料が良く点数が恐ろしいほどの量あったので…厚めの攻略本1冊やるだけで100万円超える感じでしたね?漫画よりも儲かる仕事だったのではないかと。ですから、大変ありがたく取り組んでいました。しかし残念なことに、時代が進んでメーカーからマップデータの提供がされるようになると、この仕事はなくなってしまいました。職人技として、かなり好きな仕事だったのですが…。当時のゲームライターのみなさん、編集者のみなさん、本当にありがとうございました。絵のためにデータ出しをしてくださったプレイヤーの方々にもお世話になっていました。

ゲーム業界漫画から理系漫画・研究広報へ

ゲーム雑誌は「メーカーチェック」というものがあり、原稿の内容は全部そのゲームのメーカー広報にチェックをしてもらわないと載せられない決まりになっていました。(今もたぶんそう?)

ですので、変な表現や危ない表現は避けるようにして内容を決める習慣がここで身に着きました。これがその後やるようになった理系漫画や研究広報のベースになっています。大学の漫画ですから、おかしなことは描けません。しかし、それよりも早く、ゲーム業界は、各種表現やポリティカルコレクトネスについて、何十年も前からかなり厳しい基準、判断感覚で取り組んでいました。その中で仕事をしていたおかげで、今、当たり前の感覚として、事故を起こさない広報、出版に取り組むことができていると思っています。

もうひとつゲーム業界から受けた恩恵は「ローカライゼーション」の感覚でした。日本のゲーム業界では日本のメーカーから発売される作品が、北米市場、欧州市場、その他…と展開していくのが基本で、そのために、単純な翻訳ではなくその地域の文化や宗教的背景も含めた内容に調整されています。このために、ローカライズを専門にする職の人々、本物の多言語、多文化の感覚を持つ人々の存在があり、間近で触れ合っていたおかげで、他地域へ出していくには、そういうものが必要なんだな…という理解を持つことができていました。これも現在の他言語版理系漫画出版、研究広報を支えてくれています。

取材や原稿制作についても、ゲーム業界、特にファミ通、アスキー、エンターブレインの手法が、強力に自分の仕事のやりかたを形作ってくれたと思って感謝しています。何か、恩返しができないものか?と常々思っています。

橋本長官のおかげ

ゲーム業界漫画についてお世話になったのが「猿楽庁」の「橋本長官」でした。猿楽庁はゲームがユーザーに届く前にあらゆる点においてちょうどいい感じに調整する役割を担っているちょっと変わった存在の会社で、橋本長官はそこのいちばんエライ人、はやのんが漫画家になる前から応援してくれていて、ゲーム業界漫画をあちこちで描くにあたっていつも取材先の紹介をしてくれていました。その中で一番気を付けてくれていたことが任天堂・ソニー・マイクロソフト…などいろいろなメーカーがあるけれど、「全部のメーカー、全部のハードの仕事をやること」というバランス調整でした。そのおかげで、ありとあらゆるゲームの漫画を描くことができたし、出版社も限定せずすべてのゲーム誌で仕事ができていました。これが橋本長官の、はやのんのゲーム業界漫画に対する「チューニング」でした。橋本長官は猿楽庁を退職後現在は会員制ゲーム業界サロンを経営しています。先週、久々に挨拶をしにいったら、元気そうでした。いい仕事をして恩返しを続けていきたいです。

どこか一か所だけでの仕事、と限定しない感覚は、その後の理系漫画でも非常にこだわっているポイントで、物理化学生物地学…みたいな分野も限定しないし、どこかの大学だけということもないし、どこかの研究所だけということもなく、ありとあらゆる分野の漫画を描くというスタイルを、非常に大事にやっています。近年は理系だけではなく、人文科学、社会科学の漫画も描いているし…。とにかく、みんなのために漫画を描きたいという感覚があって、それには、こんな話が、もとにあった…というわけでした。

長い昔話でした。

というわけでめちゃくちゃ長い昔話だったんですけど、まあ一度は書いておきたかったかな。というわけで、ありがとうございました。あとお礼を言い忘れてはいけない、各メーカーの広報さん、漫画に登場してくださった多くの方々、漫画を読んでくださった読者の方々…。今でも時々思いがけず連絡があったりすることもあります。ゲーム業界友達も、たくさんできた…!

楽しいゲーム業界でしたが、いろいろな意味で過酷、消耗が激しいところがあり、私はある程度のところで限界がきて、離れることになってしまいました。ゲームが趣味だったのが、仕事になってしまい、楽しめなかった時期が長くあったりして…。しかしさらに長い年月が経ち、近年またいい感じの感覚になってきたりもしていて、また、ゲームの仕事がやれたらなぁ~、と思うようになっています。

この話の続きを、書けるようにしたいものです。

↓つい先日こんな同窓会みたいなスタジオ演奏をしました!それもあって、今回の記事を書こうかなと思いました。

次回は、華やかなゲーム業界を離れ…理系の世界へ!

(次の記事)
理系漫画家になるには(7)-2005年世界物理年 World Year of Physics 2005

[著者コメント漫画]理系漫画家になるには(5)-GoGo!ミルボ初登場

理系漫画家の過去漫画シリーズ、その5です。今回は2002年になり、理系漫画家はやのんの代表作『GoGo!ミルボ』が登場した辺りの話です。第1回はオーロラの話でした!取材モノの科学漫画スタート!オーロラ観に行ったの自費でしたよ?

(ここまでの記事)
理系漫画家になるには(1)-はじめまして!理系の漫画家です!
理系漫画家になるには(2)-石垣島でファミコンに出会い、高校で物理に出会うまで
理系漫画家になるには(3)-文系女子高生、物理学科を受験!?
理系漫画家になるには(4)-10社中5社から仕事が来た出版社持ち込みツアー

(前回までのあらすじ)沖縄の石垣島で育ったはやのん、文系女子高生だったのに大学は物理学科へ。上京しミュージシャンの夢破れ、バイト、生活苦、「しかたなく」絵の仕事を始め、東京の出版社持ち込みツアーをしたところ、10社中5社から仕事が来て、ある日を境に絵だけで生活できるように…。

このシリーズは2011年に描いた自己紹介漫画『理系漫画家になるには』をキリヌキで数話に分割して、ブログで無料公開するものです。このタイトルの通り、理系の漫画家になりたい人がいたら、何かの参考にしていただければと思います。


追記:どうもこのタイトルから「今デビューした瞬間の理系の漫画家」と思われたようで!?びっくりしました。1991年に商業誌デビュー、2002年に科学誌デビュー、2007年から「理系漫画家」と名乗り、理工系に特化した漫画を長年描いている者です…!
理系漫画家はやのんプロフィールのページ
Twitterにも略歴あります!


1999年5月の持ち込みツアーの時に訪問した10社のうちのひとつが「子供の科学」編集部でした。「自分は物理学科出身だから、科学の絵は描けるだろう」と思い、作品ファイルを持って挨拶に行きました。この絵に登場しているのは当時の副編集長Aさんで、大変お世話になりました。「編集長呼んでくるから待ってて!」と慌てているのを見て、「何で驚いているんだろう…?」と不思議に思っていたのですが、当時は理系でイラストレーター、という人が、あんまり?全然?いなかったからだとわかりました。今は掃いて捨てるほどいますけどね。編集長Nさんにも大変にお世話になり、科学誌の仕事に必要なことをいろいろと教えていただきました。

最初に絵を描かせてもらったのは何月号で、何だったんだろう…ごめんなさい、覚えていません。もう20年前のことです。実家にはバックナンバーがあるので今度見てみます。2000年の夏休み工作の別冊のためにたくさんのカットを描かせてもらうことができて、それで初めてまとまった額の原稿料を得た覚えがあります。

この夏休み別冊の絵を描いている最中に、「ミルボ」のモデルだった犬の「ミル」が死んでしまいました。「ミル」は他のゲーム雑誌の漫画連載で、「ミル犬」というキャラクターとして登場していたのですが、その生犬の「ミル」が死んでしまったので、ロボットの「ミルボ」をつくって漫画キャラクターにしました。

2000年~2002年は企画や読者コーナーの絵をずっと描かせてもらっていて、いろいろなチャレンジをさせてもらっていました。それより以前の誌面の絵とだいぶ違っていたので、嫌いだと感じた読者の方も多かっただろうと思います。

2002年になり、漫画連載スタート

それまで連載していたページものの漫画の連載が終わったので、ここぞとばかりに「漫画の連載をさせてください」と猛烈に押しました。私はゲーム雑誌の方ではすでに前の年からレポート漫画の連載を初めていたので(ファミ通PS2『気になったもんで』)取材漫画自体は、やれると思っていました。取材モノの科学漫画は多分珍しかったと思うので、だからこそやりたかったわけですが、前例のないものをやろうと思ってくれたNさんAさんには本当に感謝しています。

第1回はひとりで観に行ったオーロラの体験をもとに、名古屋大学太陽地球環境研究所(STEL、現在は改組して別の組織となっています)を初めて訪れ、当時の所長、上出洋介先生にオーロラのお話をしていただいて、漫画にしました。

名古屋大学太陽地球環境研究所
http://www.stelab.nagoya-u.ac.jp/index.html.ja

名古屋大学のサイトからpdfをダウンロードすることができます。
http://www.stelab.nagoya-u.ac.jp/ste-www1/pub/mirubo/gogo-aurora.pdf

これがその漫画です。
すっごい絵、すっごい色、すっごい文字です。私も雑誌が出たときビックリしたんですが。これにはわけがありまして…。

「2色刷りの漫画連載をしないといけない」となりまして、2色刷りの原稿のやり方を知らなかった私は、当時近所に住んでいた絵本作家のフジモトマサル先生を訪ねていきました。フジモト先生は当時美しい2色刷りの絵本をたくさん出版されていて、こんな私のこんな漫画絵のために、丁寧にやり方を教えてくださっていたのです。本当にありがたく、何十年も忘れていません。

で、2色刷りにしたかったのですが、どんな色が掛け合わされるのかをイマイチわかっておらず、色校正が出ないようなスケジュールだったのか何なのか色も見ず、第1回が出てしまいました。ぎゃー。文字も、漫画用の文字入れをしたことがない、どうやったらいいのかなあ、と編集担当の方が言っていたので、その言葉の通りだったのでしょう。とにかく、こうなりました。思い出話としておもしろいから、まあいいか!

その、フジモトマサル先生なのですが、逝去のニュースを2015年インターネットで見て本当に驚きました。心より哀悼の意を表します。すばらしい作品がたくさんありますので、みなさん、読んでください。
http://www.fujimotomasaru.jp/

この第1回の漫画の中では、上出洋介先生にオーロラのお話をしていただいたのですが、こんな話をしてもらっていました。

漫画の中で、主人公のミルボともるちゃんが、先生に質問をするわけです。二人は、「先生は何でも知っている」と思っていて、答を教えてもらいたがります。でも、上出先生は「うーん、それは、私にもわかりません!」と答えたのです。

科学者は、何でも答を知っている、と多くの人は思っています。でも、そうじゃなくて、わからないことがあるから、調べる、それが仕事なのだと。科学漫画の最初の取材で、この大事なことを教えていただくことができたんです。

この一言で、その後の私の科学漫画、理系漫画は、ずっと続いています。

名古屋大学太陽地球環境研究所からはたくさんのミルボ漫画の題材をいただきました。雑誌の話をもとに独立した冊子に描き起こした「…ってなんだ!?」シリーズもあります。たくさんあるので、研究所のホームページからダウンロードしてください。このシリーズには英語版、他の言語版もあります。いずれ改めて紹介します。

一般向け本コーナー、ミルボシリーズ
http://www.stelab.nagoya-u.ac.jp/ste-www1/doc/outreach_j.html

今回も長かったです。当時お世話になった方々に感謝しています。それから、その頃漫画を読んでくださった方も、本当にありがとうございます。うまくできなかった部分もあったけど、一生懸命描いていました。この漫画を見て理系になった、研究者になったと言ってもらえたこともあります。この漫画を見てレポート漫画家になったという人にも、最近出会い、自分ではうまくやれなかったこともあって悔やむことも多かったけれど、やっていてよかったんだなと思いました。

さて次回は理系漫画家と並行してやっていたゲーム雑誌・ゲーム業界仕事のお話です!

(次の記事)
理系漫画家になるには(6)-ゲーム業界昔話

[著者コメント漫画]理系漫画家になるには(3)-文系女子高生、物理学科を受験!?

理系漫画家の過去漫画シリーズ、その3です。今回は沖縄の石垣島で育ったはやのんが高校生になって物理に出会い、そして大学は物理学科を受験するという話です。物理学科だったんですね!さすが、理系漫画家!しかし、高校3年生までの私は……!?!?衝撃の事実、どうぞ!

(ここまでの記事)
理系漫画家になるには(1)-はじめまして!理系の漫画家です!
理系漫画家になるには(2)-石垣島でファミコンに出会い、高校で物理に出会うまで

このシリーズは2011年に描いた自己紹介漫画『理系漫画家になるには』をキリヌキで数話に分割して、ブログで無料公開するものです。このタイトルの通り、理系の漫画家になりたい人がいたら、何かの参考にしていただければと思います。


追記:どうもこのタイトルから「今デビューした瞬間の理系の漫画家」と思われたようで!?びっくりしました。1991年に商業誌デビュー、2002年に科学誌デビュー、2007年から「理系漫画家」と名乗り、理工系に特化した漫画を長年描いている者です…!
理系漫画家はやのんプロフィールのページ
Twitterにも略歴あります!


理系漫画家はやのん…実は高3の秋まで文系女子高生だったんです。

いわゆる理転というやつなんですが。高校3年生の秋まで文系の大学を受験する気でいました。しかしなぜ物理学科なんかに志望変更!?(←すっごく失礼)

中庭にハブがいる大学だった。

なんと、当時好きだった男の子が、数学科に行くというのです。「数学科は無理だけど物理学科くらいなら」と、地元沖縄の国立大学の、理学部物理学科を受験することにしました。いや~、すっごく、失礼ですね。物理の人、ごめんなさい。伏して謝ります。あっでも私は本当に物理が好きだったんです。前回の記事を見てくださいね。

ところが!?
相手は落ちてしまいました。
・・・・・・!?!?
なんで!?
25 年以上経った今でも意味がわかりません。
文系女子が高3秋からで受験して受かるようなとこに落ちるって何なの???

そもそもの目的を失い、大学の物理学科に通う意味をまったくもって見失ってしまいました。大学は欠席がちで、先生や同級生に大変な迷惑をかけました。伏して謝ります。この時の先生に、若かりし頃の「いろもの物理学者」前野昌弘先生 (Twitter: @irobutsu) がいました。他にも、素晴らしい先生方がいらっしゃって、何十年経った今でも感謝の気持ちを忘れていません。しかし、大学生当時のはやのんは、とにかく、いろいろダメでした。

でも大学時代に物理の出来がよくて、研究の道になんてことになったら、漫画家にはなっていなかったかもしれないです。

そして何をしていたかというと、那覇、国際通りのゲームセンターに通い詰めていました。当時流行していた『バーチャファイター』を、筐体と基板が買えるくらいの金額までプレイしていました。これはまあ、後にゲーム業界人になったので、何か許せるような気はします。

そしてもうひとつ、その当時は、音楽の方に熱心に取り組んでいました。曲を作って歌い、90年代の沖縄、那覇市のスタジオに通っていました。ミュージシャンになりたかったのです。

大学時代は、ファミ通のゲーム帝国に文字ネタを投稿したのを最後に、ゲーム雑誌の投稿もやめてしまっていたし、絵はまったく描いていませんでした。

やせてた…

結局、音楽のほうはうまく道が開きませんでした。向いていなかったんだと思います。この辺の音楽話はそれはそれで面白いので、またいつか語りたいと思います。私は昭和50年(1975年)生まれの氷河期の厳しい年代で、大学卒業時は就職も厳しい時代でした。そもそもあまり就職する気はなかったんですが…。なにかクリエイティブな仕事がしたかったので、大学卒業を機に、沖縄を離れ東京へ行くことにしました。

最初は千葉に住んだわけですが、最初の1年は経済的に大変苦労しました。駅前のDPE屋さんでバイトをしていました。(今の人、DPEって、知ってます?)本当は音楽をやりたかったのに、できなかったから、「しょうがなく」絵を仕事にすることにしました。(これもまたなかなか失礼ですね。昔の自分は、こうだったなと思いました。)

約1年後ありがたいことに漫画家の鈴木みそ先生(Twitter: @MisoSuzuki)と出会い、アシスタントにしてもらうことができたので、翌年からは東京に住むことになりました。大学を卒業して2年後まではバイトをしながら漫画アシスタントをして、雑誌のイラストをちょっと描かせてもらったり…という生活をしていました。かなり、苦しかったですが、がんばっていましたよ。その辺りのことは、イラストレーターや漫画家志望、駆け出しの人の励ましになると思うので、また詳しく書こうと思います。

次回「出版社に持ち込みツアー!」ちなみに結果から言うと10か所回って5か所から連載や仕事がもらえるようになりました(やったね)。

(次の記事)
理系漫画家になるには(4)-10社中5社から仕事が来た出版社持ち込みツアー

[著者コメント漫画]理系漫画家になるには(2)-石垣島でファミコンに出会い、高校で物理に出会うまで

理系漫画家の過去漫画シリーズ、その2です。今回は沖縄の石垣島で育ったはやのん、8歳でファミコンに出会い、その後高校生になって物理に出会うところまでです。

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理系漫画家になるには(1)-はじめまして!理系の漫画家です!

このシリーズは2011年に描いた自己紹介漫画『理系漫画家になるには』をキリヌキで数話に分割して、ブログで無料公開するものです。このタイトルの通り、理系の漫画家になりたい人がいたら、何かの参考にしていただければと思います。


追記:どうもこのタイトルから「今デビューした瞬間の理系の漫画家」と思われたようで!?びっくりしました。1991年に商業誌デビュー、2002年に科学誌デビュー、2007年から「理系漫画家」と名乗り、理工系に特化した漫画を長年描いている者です…!
理系漫画家はやのんプロフィールのページ
Twitterにも略歴あります!



はやのんは沖縄の石垣島で2歳から18歳まで育ちました。1983年、8歳の時に発売された任天堂ファミリーコンピュータに出会います。ファミコンはとにかく熱中して遊びました。のちにゲーム業界人になるくらいだったので、まあ、そうだなと思いますが、人生を変えてくれたのはファミコンだと思います。当時はゲームや漫画は悪と言われる時代だったので、「ゲームをしているせいで勉強ができない」みたいなことを言わせてはならないと思い、よく読書や勉強などをしていたように思います。絵を描くのが好きでゲーム雑誌に投稿ハガキをたくさん載せてもらっていました。今の仕事でやっているすべての要素がここから始まったと思います。

高校生のときはかなり熱心に絵を描いていたのと、受験勉強が楽しくて毎日毎日勉強してました。その中で出会ったのが物理。あとで詳しく書きますが実は文系だったので数学が苦手だったのですが、図解や文章的理解で強引に乗り切っていました。図解と文章で理解というあたりも今の仕事の通りです。

物理の先生が、こんなことを言ってくれていました。「物理を一生懸命勉強していて、絵が上手だから、将来は物理の漫画を描いたらいいね!」と…。その後実際そうなっていますから、すごい一言だったと思います。
2019年になって数十年ぶりにこの恩師に会い、このことを話したら、覚えていなかった!(あれ~)でも、本当に、いいことを言ってくれていました。

「物理の漫画?」
意味がわかりませんでした。
私は普通に(?)漫画家になって、ゲーム雑誌などの漫画連載をしたかったのです。これも、その後実際に実現したのですが…。

普通に漫画を描くだけの漫画好きな子だったら、そこそこのところで終わっていたんじゃないかと思います。とにかく高校で物理に出会ったことが現在につながりました。

次回は「文系女子高生、物理学科を受験!?」
一番おもしろいところかもしれないのでぜひ見てくださいね。

(次の記事)
理系漫画家になるには(3)-文系女子高生、物理学科を受験!?

[著者コメント漫画]理系漫画家になるには(1)-はじめまして!理系の漫画家です!

2011年に描いた自己紹介漫画『理系漫画家になるには』をキリヌキで数話に分割して、ブログで無料公開することにしました。このタイトルの通り、理系の漫画家になりたい人がいたら、何かの参考にしていただければと思います。

今では理系で絵を描く人がかなり増えたように思いますが、当時はあまり、そういう人がいませんでした。それで、「自分の理系の専門知識と、絵を描く能力を組み合わせて、理系漫画家になったらいいですよ!」というような内容の冊子をつくって売っていました。2016年に冊子の在庫を完全処分したので日の当たらないところで寝かせていましたが、ずいぶん時間が経ったので、著者としてのコメントも追加して、このブログで紹介します。


追記:どうもこのタイトルから「今デビューした瞬間の理系の漫画家」と思われたようで!?びっくりしました。1991年に商業誌デビュー、2002年に科学誌デビュー、2007年から「理系漫画家」と名乗り、理工系に特化した漫画を長年描いている者です…!
理系漫画家はやのんプロフィールのページ
Twitterにも略歴あります!


前提としては、私が「大学院に行く前だった」「まだ雑誌や新聞から依頼された仕事だけをしていた」「セルフプロデュース仕事はしていなかった」「研究広報の仕事もしていなかった」「海外向けの仕事もまだしていなかった」頃に描いたものでした。10年近く前のことだったので、今よりも若かったし、世間知らずで、無知だったし、無謀だったので、苦労はあったのですが、でもそのおかげでできていたこともたくさんありました。

私は自分は裏方と長年思っていて、ネットで自分のことを語るということをあまりしないでこれまでやってきたので、このブログでは、初めて外に出す情報が多くなるかと思います。

当時は「物理学科卒の、理系漫画家」でした!
「漫画家なのに理系!?」
「理系なのに漫画家!?」
と驚かれていました!
今ではそういう人全然珍しくないですよね。

当時はゲーム雑誌と、子供向けの科学雑誌、工業系の新聞(全国紙)、その他多数の連載をしていました。20代の頃から、コンビニで売っているような雑誌で常時5誌くらいで連載をしている感じでした。2002年以降科学関係の仕事をするようになり、2008年くらいからその傾向が強まり、2012年まではそんな感じの漫画家をやっていました。その後2013-2015年に大学院に行くことになるのですが、それはまた後で語ります。

当時は
子供の科学『GoGo!ミルボ』
日刊工業新聞『キラリ研究開発』
RikaTan『理科の探偵』
Rikejo『Rikejoのオシャレ研究所』
…という連載をやっていたみたいです。
理系漫画家だぞと名乗りたかったのも無理はありませんね。

いろんな雑誌で描かせてもらえたことで、それぞれの読者に合った形を考えて、挑戦することができていました。感謝しています。この頃のはやのんは「大挫折」の時期の遥か以前だったので、仕事は楽しさに溢れていたし、この漫画もそんな雰囲気でしたね。

今回3コマでしたけど、続きはまた明日投稿します。

(次の記事)
理系漫画家になるには(2)-石垣島でファミコンに出会い、高校で物理に出会うまで