[著者コメント漫画]理系漫画家になるには(6)-ゲーム業界昔話

(ここまでの記事)
理系漫画家になるには(1)-はじめまして!理系の漫画家です!
理系漫画家になるには(2)-石垣島でファミコンに出会い、高校で物理に出会うまで
理系漫画家になるには(3)-文系女子高生、物理学科を受験!?
理系漫画家になるには(4)-10社中5社から仕事が来た出版社持ち込みツアー
理系漫画家になるには(5)-GoGo!ミルボ初登場

このシリーズは2011年に描いた自己紹介漫画『理系漫画家になるには』をキリヌキで数話に分割して、ブログで無料公開するものです。このタイトルの通り、理系の漫画家になりたい人がいたら、何かの参考にしていただければと思います。


はやのん…1999年にゲーム雑誌デビュー、その後、現在は大学の研究を漫画にする「理系漫画家」「研究広報」を仕事にしています。
理系漫画家はやのんプロフィールのページ
Twitterにも略歴あります!


理系漫画家の仕事と並行して、1999年~2013年頃はゲーム雑誌の仕事をしていました。前回の投稿をしてから今回まで時間が開いたのは東京出張で忙しかったからというのもあったのですが、この漫画のコマの「何でも思うがままっ」ていうセリフが、盛りすぎかなあ、と思って申し訳なく思い…。しかし今回の東京出張時、ゲーム業界の当時お世話になった人々に会う機会が何度かあり、ウーン、やっぱりそういう感じはあったかな、と思ったので、書くことにします。「調子に乗っていた」「いい気になっていた」そして人様に迷惑を掛けていたという辺りまで含めて、そんな感じだったかなと思います。

ゲーム批評

ゲーム業界での商業誌デビューが雑誌『ゲーム批評』だったことは自慢のひとつでした。ゲーム批評は広告を一切とらないことでゲームメーカーにおもねる記事を掲載しないという方針の、当時のゲームマニア好みの雑誌でした。この雑誌の執筆者になるためにはそれだけゲームに詳しくなければならないという雰囲気だったので、連載ができるようになったのは本当に嬉しかったです。ゲームメーカーの歴史を4ページにビッシリと書き込んでまとめた漫画でした。
当時の編集長は小野憲史さんでした。はやのんにとってはゲーム雑誌の仕事ができるようにしてくれた恩人です。

ファミ通

「ファミ通」のエンターブレインにも大変お世話になっていました。もともと漫画家になる前に師匠鈴木みそ先生がファミ通本誌で漫画の連載をしていたのでお世話になっていたわけですが、当時、先生からは仕事の紹介はしてもらっていなかったように思います。先生はそういうタイプの人ではなかったし、仕事は自分でとったほうがいいものという考えがあったのだろうと思います。(実際、その通りだったと思います。)編集者の方にお願いして挨拶回りをさせてもらったりしていて、NINTENDO64の頃の「ファミ通64」でゲーム攻略マップを描かせてもらっていたのが最初だったような気がします。当時はメーカーからマップデータをもらったりということはなかったので、全部目測で描いていました。実は10代の頃から地図を描く仕事をしていたため、特殊な感覚と技術を持っていて、そのおかげでゲーム攻略マップを職とすることができました。中学生の頃から『ウィザードリィ』シリーズなどマップを描きまくっていたので、それが仕事になるとは…という感じでした。

2001年から2004年は「ファミ通PS2」という雑誌で『気になったもんで』という漫画の連載をさせてもらっていました。月2回刊、5ページという変わったページ数で、ゲーム業界の面白そうなところに、編集者と一緒に取材に行って漫画にする、というスタイルのものでした。72話あったうち、27話?だったか?だけ、単行本になっています。当時の担当編集者さんたちには大変お世話になりました。あらゆる面で未熟であったため一番迷惑を掛けたのもこの辺りです。

ファミ通PS2の連載の最後辺りの時期は週刊ファミ通本誌でも連載をさせていただいていました。力不足が一番出たのがこの辺りだったと思っています。

Nintendo DREAM(ニンドリ)

2002-2013年と長きにわたって連載していたのはNintendo DREAMの『すすめ!天任家族』という漫画です。ゲーム大好き少年ダッシュ、その母かあさん、謎の動物ボギー、編集者たちが登場する、半分フィクション、半分ノンフィクションみたいなゲーム業界漫画でした。これも200話以上あったと思いますが単行本にはなっていません。

「ニンドリ」は任天堂ファンのための任天堂専門誌です。漫画連載はかなり前に終わりましたが、雑誌自体は現在も元気に刊行されています。
Nintendo DREAM
https://www.ndw.jp/

「プロの任天堂ファン」という語を生み出しました。
途中からなぜか爆濃鉄ヲタ漫画になった時期もありました。

ニンドリの仕事は自分がゲームを好きになった理由である宮本茂さんをはじめとする任天堂のクリエイターにお会いすることもできましたし、人生を変えてくれた恩返しをしたいと思い取り組んでいました。編集者の方々にも大変お世話になりました。一番漫画でイジらせてもらった当時の編集長サオヘンさんは漫画連載を始めさせていただいた恩がありますし、特に担当編集者かややんさんはゲーム雑誌、投稿ページ、ゲーム漫画を愛する真のプロゲーム編集者として尊敬しています。私より若いのに編集長になったりふぁさんとは今でも結構お付き合いがあります。みなさん、ずっと楽しいゲーム誌づくりにがんばっています。ずっと応援しています。

ゲーム攻略マップ

ゲーム攻略マップの仕事をしていたことは先述しましたが漫画の仕事をしながら、上記に加え、それ以外のゲーム誌、出版社でも、かなり多数のゲーム攻略記事、ゲーム攻略本のマップ描きの仕事をしていました。その数たぶん数百冊はあったのでは?マリオやゼルダ、ドラクエなどかなり有名なタイトルもありました。数日前この話をしたところ、元ファミ通編集長バカタール加藤さんが「ええ!知らなかった!儲かったでしょ!」と第一声…。さすがです。そこです。そうなんです。名前が出ないような仕事というやつでしたがかなり原稿料が良く点数が恐ろしいほどの量あったので…厚めの攻略本1冊やるだけで100万円超える感じでしたね?漫画よりも儲かる仕事だったのではないかと。ですから、大変ありがたく取り組んでいました。しかし残念なことに、時代が進んでメーカーからマップデータの提供がされるようになると、この仕事はなくなってしまいました。職人技として、かなり好きな仕事だったのですが…。当時のゲームライターのみなさん、編集者のみなさん、本当にありがとうございました。絵のためにデータ出しをしてくださったプレイヤーの方々にもお世話になっていました。

ゲーム業界漫画から理系漫画・研究広報へ

ゲーム雑誌は「メーカーチェック」というものがあり、原稿の内容は全部そのゲームのメーカー広報にチェックをしてもらわないと載せられない決まりになっていました。(今もたぶんそう?)

ですので、変な表現や危ない表現は避けるようにして内容を決める習慣がここで身に着きました。これがその後やるようになった理系漫画や研究広報のベースになっています。大学の漫画ですから、おかしなことは描けません。しかし、それよりも早く、ゲーム業界は、各種表現やポリティカルコレクトネスについて、何十年も前からかなり厳しい基準、判断感覚で取り組んでいました。その中で仕事をしていたおかげで、今、当たり前の感覚として、事故を起こさない広報、出版に取り組むことができていると思っています。

もうひとつゲーム業界から受けた恩恵は「ローカライゼーション」の感覚でした。日本のゲーム業界では日本のメーカーから発売される作品が、北米市場、欧州市場、その他…と展開していくのが基本で、そのために、単純な翻訳ではなくその地域の文化や宗教的背景も含めた内容に調整されています。このために、ローカライズを専門にする職の人々、本物の多言語、多文化の感覚を持つ人々の存在があり、間近で触れ合っていたおかげで、他地域へ出していくには、そういうものが必要なんだな…という理解を持つことができていました。これも現在の他言語版理系漫画出版、研究広報を支えてくれています。

取材や原稿制作についても、ゲーム業界、特にファミ通、アスキー、エンターブレインの手法が、強力に自分の仕事のやりかたを形作ってくれたと思って感謝しています。何か、恩返しができないものか?と常々思っています。

橋本長官のおかげ

ゲーム業界漫画についてお世話になったのが「猿楽庁」の「橋本長官」でした。猿楽庁はゲームがユーザーに届く前にあらゆる点においてちょうどいい感じに調整する役割を担っているちょっと変わった存在の会社で、橋本長官はそこのいちばんエライ人、はやのんが漫画家になる前から応援してくれていて、ゲーム業界漫画をあちこちで描くにあたっていつも取材先の紹介をしてくれていました。その中で一番気を付けてくれていたことが任天堂・ソニー・マイクロソフト…などいろいろなメーカーがあるけれど、「全部のメーカー、全部のハードの仕事をやること」というバランス調整でした。そのおかげで、ありとあらゆるゲームの漫画を描くことができたし、出版社も限定せずすべてのゲーム誌で仕事ができていました。これが橋本長官の、はやのんのゲーム業界漫画に対する「チューニング」でした。橋本長官は猿楽庁を退職後現在は会員制ゲーム業界サロンを経営しています。先週、久々に挨拶をしにいったら、元気そうでした。いい仕事をして恩返しを続けていきたいです。

どこか一か所だけでの仕事、と限定しない感覚は、その後の理系漫画でも非常にこだわっているポイントで、物理化学生物地学…みたいな分野も限定しないし、どこかの大学だけということもないし、どこかの研究所だけということもなく、ありとあらゆる分野の漫画を描くというスタイルを、非常に大事にやっています。近年は理系だけではなく、人文科学、社会科学の漫画も描いているし…。とにかく、みんなのために漫画を描きたいという感覚があって、それには、こんな話が、もとにあった…というわけでした。

長い昔話でした。

というわけでめちゃくちゃ長い昔話だったんですけど、まあ一度は書いておきたかったかな。というわけで、ありがとうございました。あとお礼を言い忘れてはいけない、各メーカーの広報さん、漫画に登場してくださった多くの方々、漫画を読んでくださった読者の方々…。今でも時々思いがけず連絡があったりすることもあります。ゲーム業界友達も、たくさんできた…!

楽しいゲーム業界でしたが、いろいろな意味で過酷、消耗が激しいところがあり、私はある程度のところで限界がきて、離れることになってしまいました。ゲームが趣味だったのが、仕事になってしまい、楽しめなかった時期が長くあったりして…。しかしさらに長い年月が経ち、近年またいい感じの感覚になってきたりもしていて、また、ゲームの仕事がやれたらなぁ~、と思うようになっています。

この話の続きを、書けるようにしたいものです。

↓つい先日こんな同窓会みたいなスタジオ演奏をしました!それもあって、今回の記事を書こうかなと思いました。

次回は、華やかなゲーム業界を離れ…理系の世界へ!

(次の記事)
理系漫画家になるには(7)-2005年世界物理年 World Year of Physics 2005

↑これは、はやのんが今仕事で使ってる、激安WACOMペンタブレットです。

「[著者コメント漫画]理系漫画家になるには(6)-ゲーム業界昔話」への1件のフィードバック

  1. ゲム好きでみんなに伝えたいから描く
    ゲム屋さん達のこと好きだから描く
    だからゲム屋にもメディアにも読者にも愛されていたんだね
    はやのんを独占することは誰にもできない…

    さて次回! 愛の対象をゲムからScienceと拡大した第7部”宇宙篇”〜”ヤマト未来篇”、”鳳凰篇”をお楽しみにーーーー!(^_^)/

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