[著者コメント漫画]理系漫画家になるには(4)-10社中5社から仕事が来た出版社持ち込みツアー

理系漫画家の過去漫画シリーズ、その4です。今回は大学卒業から1年、東京の出版社持ち込みツアー!の辺りです。10か所回って半分から連載の話や仕事が来ていたので、あんまり、苦労話ではないと思います。それではどうぞ↓

(ここまでの記事)
理系漫画家になるには(1)-はじめまして!理系の漫画家です!
理系漫画家になるには(2)-石垣島でファミコンに出会い、高校で物理に出会うまで
理系漫画家になるには(3)-文系女子高生、物理学科を受験!?

(前回までのあらすじ)沖縄の石垣島で育ったはやのんが文系女子高生だったのに大学は物理学科へ、上京しミュージシャンの夢破れ、バイト、生活苦、「しかたなく」絵の仕事を始めました。

このシリーズは2011年に描いた自己紹介漫画『理系漫画家になるには』をキリヌキで数話に分割して、ブログで無料公開するものです。このタイトルの通り、理系の漫画家になりたい人がいたら、何かの参考にしていただければと思います。


追記:どうもこのタイトルから「今デビューした瞬間の理系の漫画家」と思われたようで!?びっくりしました。1991年に商業誌デビュー、2002年に科学誌デビュー、2007年から「理系漫画家」と名乗り、理工系に特化した漫画を長年描いている者です…!
理系漫画家はやのんプロフィールのページ
Twitterにも略歴あります!


東京での商業誌デビュー直前辺りのバイト生活~出版社持ち込み頃の話をします。

※地元沖縄での商業誌デビューは早くて、16歳の時でした…

これを語ろうと思ったのは最近、絵の仕事に就きたい若い人や駆け出しの人と知り合い、バイトと絵をうまくやることに苦労しているようなので、何か励ましになればと思ったからです。普段は自分の話をするのは好みません。昔話なんかするの、申し訳ないので…。

わかりやすいよう、年表を書きます。


1998年(22歳)3月、大学卒業、その頃沖縄から関東へ引っ越し。
1998年は千葉でバイトをしながらどうにもならない生活をしていた。
1999年(23歳)、東京に引っ越し、漫画家鈴木みそ先生のアシスタント、雑誌イラストレーター、日雇い倉庫バイトでどうにかこうにか暮らしていた。春頃出版社持ち込みツアー。「子供の科学」の挿絵描きの仕事をもらえるようになった。秋になり雑誌「ゲーム批評」で初の漫画連載スタート。
2000年(24歳)5月のある日、突然、バイトに行かなくても済むようになったことに気づきビックリした。


若い人が気になっているのは「どうやって出版社回りをしていたか」という辺りだと思います。これはこれで1記事として別に書くべきと思うので近々書きます。読みたい人はTwitterかブログにコメント入れてください。

私の場合は漫画家アシスタントをしていたので普通の定時があるバイトができませんでした。そこで1日単位でスケジュールが決められるいわゆる日雇いバイトをやっていました。今風に言うと派遣です。具体的には大手運送会社の倉庫での荷物仕分け、大手携帯会社での製品箱詰め、懐かしの牛柄ぱそこん会社での製品箱詰めなどをやっていました。ここだけゲーム業界なので実名出しますが、今はなきデジキューブの倉庫が一番好きで長く働いていました。この場所にはのちに取材で訪れることになります。

1日働いて、交通費と食費を抜いたら「5000円」。
これで東京の暮らしをどうにかやっていました。若くて貧乏で無知だったからお金の使い方も時間の使い方も下手でした。
しかしどうにかこうにか、手元のお金で、出版社持ち込み用の絵資料ファイルをつくっていました。今風に言うと「ポートフォリオ」です。

ポートフォリオの作り方はいろいろあると思いますが、原理的には、
(1)見せたい作品を集める
(2)連絡先
(3)プロフィール
がわかるような冊子的なもの…になっていればOKです。

見た方がわかりやすいと思うので今手持ちのポケットファイルに作品入れたの作ってみました↓ こんな感じです。中身がわかりやすいようにとかいろいろ工夫したりもして…その辺りの話はまた後日別の記事として書きますね。

今となっては自分が編集者なので「見る側」に。絵、プロフィール、連絡先といった必要な情報がわかればいいので、こんなのでいいです。多分? もっと意識高い感じのフォルダに収めている人もいると思いますよ。

これを出版社や編集者のところに持って行って、見てもらって、必要なときに仕事の声をかけてもらうわけです。

ポートフォリオのファイルは編集部の他の編集者に回してもらったり、そこら辺に転がしておいたりされることもあるのでそれを想定して作っておいたほうがいいです。今はデータで相手に見せることもあると思いますが、「実体あるモノ」の力は強い効力を発揮することがあるので、冊子体は必ず作ったほうがいいです。

で、
このファイル1冊をつくるのに、クリアポケット代、印刷インク代だけでも2000円くらいかかっていました。当時の私にとっては大金…。1日手取り5000円ですから、1日働いてはファイルを作り、編集部訪問をしてファイルを渡し、1日働いてはファイルを作り、編集部訪問をしてファイルを渡し、を繰り返していました。

1日バイトを休んで=その日無収入、交通費とおみやげ費をかけて挨拶回りだったので、生活面として正直大変でした。挨拶はまあまあ得意だったのでその点は良かったです。

1999年、24歳になる年の春頃、そういう暮らしをしていて、だいたい10か所まわって半分から仕事をもらえました。割とすぐにそうなったので、その部分では苦労はしなかったように思います。

1999年は大恩人の編集者Nさんのおかげでリクルートの住宅情報誌でイラストをたくさん描かせていただいていまして、夏以降は「子供の科学」の挿絵を毎号描かせてもらえるようになり、秋には雑誌「ゲーム批評」で初の漫画連載を開始していました。その他は当時ではまだ珍しかったウェブメディアとか、書籍の挿絵とか…仕事をしては持ち込み用ポートフォリオの絵を差し替え、仕事をしては差し替えして、ポートフォリオのバージョンアップを繰り返していました。ファイルの中身が最初はお金をもらっていない自作絵だけだったのが、雑誌掲載作品のみに変わっていきました。

翌年の2000年以降はファミ通やNintendo DREAM、その他ゲーム誌、そして女性誌などの仕事が増えていきました。それは数回後に書きます。

出版社への持ち込みのしかた、持っていく資料のつくりかたについては、今やっている方法を紹介しながら、また別で書きますね。ちょうど今月、挨拶ツアーにいくところですので。

話が長くなりすぎでしたね。退屈でなかったですか?長くなったので続きは次回!今回、漫画は1コマだけでしたね。

最後に一言…バイトしながら絵の仕事目指してる人、駆け出しで掛け持ち仕事してる人、応援してます!今後も、励ましになるようなものを書いていきます。

内容のリクエストあったらDMとか送ってください。

(次の記事)
理系漫画家になるには(5)-GoGo!ミルボ初登場

コメントを残す

メールアドレスは公開されません。